皆さんこんにちは。南大阪在住、ブログの管理人「カズ」です。今回はいろいろ考えた結果、昨年4月に記事にした、四国八十八ヶ所の旅を改訂したものを発表します。生前の父が最も気にしていた文章であること、また、昨年の発表時には写真の張り方が不得手で、読みづらい構造になっているところ改善した上でもう一度発表したいと私自身が思ったことです。また、毎回、申しておりますが、父親が過去記録した旅行記を息子の私がブログという形で皆さんに公表しています。現在と状況が変わっている可能性があることをご了解ください。
スマホでブログをご覧になっている皆さんへ。本文のあとに旅行の行程表がありますが、それを見る際はスマホを横にしてご覧になって下さい。縦のままだとちゃんと表示されません。よろしくお願いします。
1996年9月8日~13日の四国行きは、13ヶ寺の札所巡りと平家の遺蹟を求めるものだった。多少、図式的かもしれないが、落人の地は四国山系の奥まった場所に多く、このような地には鄙びたところも多い。それは私達の好みに適合するのでないか。
5泊6日の旅は、深日港から乗船した。津名港から淡路道を縦断して鳴門へ、瀬戸内沿いに国道11号を西進、津田の松原から86番志度寺に向かった。志度寺は聖武天皇の実母とされる海女の墓がある。謡曲にもなっていて有名である。
志度寺(八十六番)
84番屋島寺、此所で屋島の史跡に行ってみたが、様子はすっかり変わっている。根香寺、白峰寺、高照院へ、順序は逆打ちである。古い芝居小屋である琴平町の金丸座を一目見たかったが、適当な駐車場が見当たらず、外観だけしか覗き見できなくて残念だった。
屋島古戦場跡
屋島寺(八十四番)
かんぽ坂出より瀬戸大橋
猪ノ鼻峠から阿波池田に入り、吉野川に沿う。小歩危、大歩危峡から祖谷渓地区に入る。平家落人の拠点でもあったようだ。平家屋敷を歴史民俗資料館として案内しているが、殆ど見るべき遺物も無いと思った。祖谷渓は流石に渓は深く、往時の原生林は人っ子一人生活できる場所では無かったのではないか。現在は少し様子が変化して、かずら橋周辺は沢山なホテルや旅館、みやげ物店が立ち並び、すっかり観光化している。秘境とは名ばかりで、平家落人の里としてのイメージは結びつかない。
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