皆さんこんにちは。南大阪在住、ブログの管理人「カズ」です。今回はいろいろ考えた結果、昨年4月に記事にした、四国八十八ヶ所の旅を改訂したものを発表します。生前の父が最も気にしていた文章であること、また、昨年の発表時には写真の張り方が不得手で、読みづらい構造になっているところ改善した上でもう一度発表したいと私自身が思ったことです。また、毎回、申しておりますが、父親が過去記録した旅行記を息子の私がブログという形で皆さんに公表しています。現在と状況が変わっている可能性があることをご了解ください。
スマホでブログをご覧になっている皆さんへ。本文のあとに旅行の行程表がありますが、それを見る際はスマホを横にしてご覧になって下さい。縦のままだとちゃんと表示されません。よろしくお願いします。

 

私達は人込みを避けて、東祖谷山村に向かった。安徳帝の火葬場と伝えられる地や、戦の神、八幡様の社を訪れたが、国道から外れた随分高台と云うより、山上近くに所在している。この日宿泊した奥祖谷の青少年旅行村の主人の話では、平家の落人が屋島で破れて、この地に逃れた頃は、勿論道路はなく、尾根から尾根へ分け入ったらしく、多くの部落は山上近くに集まっているのだという。平家の赤旗の残る阿佐家や喜多家(源氏の関係らしい)を訪れたが、いずれも交通事情は悪く、殆ど人影は無かった。平家屋敷阿佐家にも立ち寄ったが、現在では特に平家を看板に出しているが、源氏、平家がどこでも混じっていて、共に大自然の中で平和な生活を営んでいるように見受けた。

 かずら橋
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 旧喜多家
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 喜多家横の大杉
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 阿佐家
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南国市に出て、国分寺29番に参詣する。物部村に向きを変えて、再び山岳部に入り、岡ノ内、別府地区を訪れる。此所も平家伝説の息づく里と紹介されているが、今時、平家の末裔と自称しても、長い年月、皆が隠していたことであり、事実の程は不明じゃないか、これは現地に居住する人の率直な意見だった。平氏は兎にも角にも、巨岩、奇岩、山は険しく、渓は深く、流れは清く、その自然美を称賛するのに言葉を知らない。

 国分寺(二十九番)
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 別府峡
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