皆さんこんにちは。南大阪在住、ブログの管理人「カズ」です。先日まで、毎日猛暑の日が続きましたが、今回は初夏を感じられる富士山の近辺周辺を選択しました。
また、毎回、申しておりますが、父親が過去記録した旅行記を息子の私がブログという形で皆さんに公表しています。現在と状況が変わっている可能性があることをご了解ください。
スマホでブログをご覧になっている皆さんへ。本文のあとに旅行の行程表がありますが、それを見る際はスマホを横にしてご覧になって下さい。縦のままだとちゃんと表示されません。よろしくお願いします。
2001年5月17日(木) 中前編
富士川に沿って国道52号線を南下。途中、昼食の店を探すが全く見当たらず、中富町JA出張所の食堂でやっと食事が取れた。そしてすぐここから南アルプス街道を山岳部に向って入るのである。
南アルプス街道
随所に滝のある道を西山温泉の表示に従って北上する。この道も比較的ダンプカーが多い。やはり土砂採掘場があるのである。土砂災害除けのトンネルや砂防壁も御勅使川(みだいがわ)の場合と同じで数も多い。南アルプスの自然環境が時には多大の被害を及ぼすことを物語る。西山温泉を過ぎると間もなく奈良田である。その昔、富士川の合戦で源氏に敗れた平家の残党がこの地に逃げ延びて隠れ住んだと言い伝えられる。しかし、その証拠になるものはあまり無いのではないか。武田の落人の場合も同じことが言えるかも知れない。
奈良田温泉は奈良に都があった頃、孝謙女帝が病気療養に訪れたと伝えられている。古い記録では芦安(あしやす)からドノコヤ峠を越えて奈良田に入ったと言い伝えられているが、随分遠くて辺鄙なところに来たものである。聖武天皇と光明皇后の娘であり、後に重祚(ちょうそ 管理人注 一度退位した君主が再び即位すること)して称徳天皇として皇位を継いだ人である。また、弓削道鏡(ゆげのどうきょう)と艶聞を馳せた話は歴史上有名である。藤原氏一族の強力なバックを持った女帝が、療養の為とはいえ、長期間都を留守にして、この地に来たのは何故か、不思議に思う。法皇道鏡との関係は和気清麻呂(わけのきよまろ)によって断ち切られたが、異母姉妹の存在もあり、宮廷の空気は必ずしも平穏ではなかったと考えるのが自然である。
2001年5月17日(木) 中前編
場所 時間 メーター表示
虎御前の鏡立石 10時54分 50.6㎞
発 11時15分
有野右折 県道12号線
小笠原橋北詰 右折
国道52号線
富士橋西
中富町JA直売所 12時15分 87.5㎞
昼食 発 12時48分
中富町飯富 右折
早川町大島 右折
南アルプス街道
西山温泉
奈良田の里 13時45分 125.2㎞

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