皆さんこんにちは。南大阪在住、ブログの管理人「カズ」です。暫く父の旅行記を取り上げず申し訳ありません。久々の登場です。冬の岡山県をチョイスしました。今回が最終回です。
また、毎回、申しておりますが、父親が過去記録した旅行記を息子の私がブログという形で皆さんに公表しています。現在と状況が変わっている可能性があることをご了解ください。
スマホでブログをご覧になっている皆さんへ。本文のあとに旅行の行程表がありますが、それを見る際はスマホを横にしてご覧になって下さい。縦のままだとちゃんと表示されません。よろしくお願いします。

2007年1月31日(水)後編

出雲街道は国道に並行しているのだが、そこに入る道は極度に狭くて少し迷ってしまった。出雲街道の方も一方通行でなく、車を交わすのも骨が折れた。箕作阮甫旧宅から数軒東によると、旧梶村家住宅(管理人注 現城東むかし町家)である。明治期に建設された座敷から見せて貰った。管理人らしい人が来て、面白可笑しく話してくださった。訪問者は私達2名だけだった。座敷の天井板は鹿児島の屋久杉を使用しているとか。ガラス障子のガラスはすべて手作りの貴重なものだったり、山水に仕立てられた庭の巨石や珍しい奇岩は梶村氏の全盛期に金銭に糸目をつけず集められたものらしい。製紙会社の経営にも活躍したようで、米国人の多くが利用したパナマ帽に似せた材料の輸出で巨万の富を成したようだ。
座敷は大正期に造築されたもので2階があった。昔、賀陽宮(かやのみや 管理人注 宮家の一つ)が長期間滞在されたそうだ。廊下から庭に造られた滝を見ることが出来る。裏座敷から庭の別室になっている茶室(千草の舎 ちぐさのや)を見学し、泉水のある前庭に廻ってみた。案内所によれば「旧梶村家住宅は江戸後期頃に建てられた母屋から昭和初期の西蔵まで、各時代の生活様式の変化に対応した改造、増築が行なわれており、時代と共に生きてきた変化に富む複合的な町家として歴史を物語る貴重な遺稿である」としている。

 旧梶村家住宅
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 津山洋学資料館
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津山インター近くで食事をし、一路帰宅の途につく。冬の旅も車中の時間が長かったのと温かい日が続いて寒さはあまり気にならなかった。帰りも近畿道を利用したが、渋滞も無くスムーズに帰宅出来た。感謝感謝。

 腰痛地蔵
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2007年1月31日(水)後編

場所            時間       メーター表示

津山城東界隈      11時41分     48.2㎞

 箕作阮甫旧宅

 旧梶村家住宅

 津山洋学資料館 発  12時38分

山路うどん駐車場    12時48分     51.1㎞

 昼食 発       13時22分

津山インターチェンジ  13時26分

腰痛地蔵        14時41分    117.7㎞

 発          14時50分

加西サービスエリア   15時27分    153.4㎞

 発          15時45分

帰宅          17時30分    269.0㎞

               総合計    533.4㎞


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