皆さんこんにちは。南大阪在住、ブログの管理人「カズ」です。6月となり、九州の地震も、私が住んでいる関西では、若干風化した感もありますが、現地の皆様はまだまだ再建にはほど遠い状態だと思います。改めて、一刻も早い復興を祈念いたします。昨日、私が真田幸村関連の施設を訪ねて、電車で出掛けてきましたので、その模様をお伝えします。前回も申し上げましたが、父と違って文才が無いので、悪しからず。
スマホでブログをご覧になっている皆さんへ。本文のあとに旅行の行程表がありますが、それを見る際はスマホを横にしてご覧になって下さい。縦のままだとちゃんと表示されません。よろしくお願いします。

2016年6月4日(土曜日)

結局、梅雨入りが発表された当日、私が外に出掛けていた時間帯は曇で暑くもなく、かといって雨も降らず、程よい天候で歩きの移動も比較的スムーズにいきました。南海高野線でなかもずで乗り換え、七福神のお詣りの時にも利用したエンジョイエコカードを購入します。この1枚で、地下鉄が600円で利用放題です。御堂筋線で天王寺まで行き、谷町線へ乗り換え、八尾南の1つ前の駅、長原駅で下車します。改札口を出た目の前に、いきなり幸村関連のポスターが目に入ります。平野区のゆるキャラ「ひらちゃん」が兜を被って幸村仕様です。

 地下鉄のポスター
長原駅

地上に出て、志紀長吉神社を目指します。大坂夏の陣の道明寺・誉田の戦いに参陣した幸村が、大阪城に戻る際に立ち寄り、戦勝を祈願したと言われています。その際、奉納された六文銭の軍旗が保管されていますが、これはお正月の特別拝観の際のみ、一般に拝観できます。当日は拝観できませんでした。

 志紀長吉神社
志紀長吉1
志紀長吉2
志紀長吉3
志紀長吉5

 絵馬掛所も六文銭仕様です。
志紀長吉4

志紀長吉神社の南に数百メートル離れたところに、大きな鳥居があり(申し訳ありませんが、写真を撮っていません)更に100メートル程南に、真田幸村休憩所跡があります。一般の住宅の真ん中にあり、一番奥まで少しドキドキしながら入っていきました。

 真田幸村休憩所跡
休憩所跡1
休憩所跡2

朝の出発が少し遅かったので、もう昼時です。実はこの駅には初めて来たので、何か変わったものを食べようかとも思いましたが、結局は「ガスト」へ。
食事後、地下鉄谷町線に乗って、天王寺方向に戻って、平野駅で下車。樋尻口地蔵堂(ひのしりくちじぞうどう)を目指します。駅から結構距離があるらしく、取りあえず近所の平野公園を目標に歩きます。20分程で平野公園へ。樋尻口地蔵堂の場所は案内板もあり、すぐ分かりました。ここは、大坂夏の陣の際、徳川家康がこの地に立ち寄ることを予測し、真田幸村が地雷を仕掛けた場所と言われています。その爆破の際、家康は席を外していて難を逃れたと言うことです。

 樋尻口地蔵堂
地蔵堂1
地蔵堂2

真西に歩いて行くと、商店街です。アーケード付きの昔ながらの商店街ですが、残念ながら半分程度の店舗は閉まったままです。次の目的地、全興寺は商店街の中にあると聞いていたので、商店街をそのまま歩いていると、突然、お寺が現われました。これが全興寺です。左右を見渡すと完全に商店街です。

全興寺(商店街側、北側入口)
全興寺1
全興寺4

 お寺の左右は商店街です。
全興寺2
全興寺3

中に入って分かりましたが、正門は西の方にあり、本堂も南向きに建造されていて、必ずしも商店街側が正門と言うことではないようです。この寺と真田幸村との関連ですが、先程の樋尻口地蔵堂の地雷が爆発したときに、地蔵の首が全興寺まで飛んできたと伝わっています。

 不動堂 商店街側の入口正面にあります。
全興寺5

 本堂
全興寺6

このお寺は、真田関連以外にも旧平野郷の中心的寺院であり、地獄体験が出来るという地獄堂や小さな駄菓子屋さん博物館もあり、子供達の遊び場にもなっているようです。昔の日本では、このようなお寺は各地にあったのではないでしょうか。古き良き時代を彷彿させる場所です。

 駄菓子屋博物館
全興寺7

 西側正門
全興寺8

結局、裏口からはいって、表口から出た事になりましたが、当日もマスコミ関連(幸村と家康と書いた幟を持っていたため、そういう風に想像しただけですが)と思われる人達がおり、まだまだ真田関連でも賑わいそうです。
また、今回、地下鉄に乗車して、真田の「南海九度山切符」の広告を電車内や駅構内のあちこちで見掛けました。私が4月の初めに九度山に行ったとき、ブログの中で、九度山切符はアピール不足で、余り世間に知られていないと書きましたが、その時より格段に浸透しているように思います。
平野駅からの2ヶ所は駅から遠く、結局1時間半程度は徒歩に費やしました。夕方から雨が降るかも知れないと言うことで、今回はこれで終了です。