皆さんこんにちは。南大阪在住、ブログの管理人「カズ」です。6月となり、九州の地震も、私が住んでいる関西では、若干風化した感もありますが、現地の皆様はまだまだ再建にはほど遠い状態だと思います。改めて、一刻も早い復興を祈念いたします。また、大雨により新たに被害が発生しており、心からお悔やみ申し上げます。土曜日、私が真田幸村関連シリーズ4回目として、天王寺周辺を訪ねて、電車で出掛けてきましたので、その模様をお伝えします。前回も申し上げましたが、父と違って文才が無いので、悪しからず。
スマホでブログをご覧になっている皆さんへ。本文のあとに旅行の行程表がありますが、それを見る際はスマホを横にしてご覧になって下さい。縦のままだとちゃんと表示されません。よろしくお願いします。
2016年6月18日(土曜日)
梅雨の晴間となり、非常に暑い一日でしたが、天王寺界周辺の真田幸村関連施設に出掛けてきました。いつもの如く南海高野線でなかもずで乗り換え、エンジョイエコカードを購入します。この1枚で、地下鉄が600円で利用放題です。御堂筋線で天王寺まで乗車。四天王寺庚申堂に向かいます。地図で事前に見当をつけていましたが、天王寺年金事務所の脇の細い道を5分ほど歩いて行けば、四天王寺庚申堂が目に入ってきます。かつては、七福神巡りで訪問した四天王寺の境内の一部であったとのことです。
四天王寺庚申堂
ここには、真田十勇士の伝説があり、大坂夏の陣の際、真田幸村が伏兵をおいて、十勇士の一人穴山小助を自分の影武者として出陣させたと言われています。また、境内を見渡してみると七福神が七体とも祀られています。先日の七福神巡りですが、その後、足が非常に痛くなったこともあって、ここに来れば一回で済んだのでは、と思ってしまいました。
七福神
次の目的地は一心寺です。本来なら徒歩の距離ですが、先日、足が痛くなった反省から、天王寺に引き返し、地下鉄を乗り継いで恵美須町から向かいます。実は、一心寺は管理人の先祖が供養されているので、何十回も(百回以上行っているかも知れません)参拝しており、その経験から、どちらかと言えば恵美須町の南出口からが、一番距離的に近いと思います。
一心寺山門と仁王像
この寺と真田幸村との関連は2点あり、1つは真田の抜け穴と伝わる井戸跡があること。2つ目は、大坂夏の陣の徳川方で戦死した本田忠朝の墓があること。その本田忠朝は酒の飲み過ぎで失敗したことから、現在では、酒封じを願う人が参拝に訪れるようになったとのことです。一心寺は今まで何度も訪れていますが、以上2点は初耳でした。
一心寺本堂
一心寺納骨堂
まず、いつものように本堂と納骨堂に参拝した後、抜け穴を探します。納骨堂の向かって左手、お墓が並んでいる手前にありました。しかし、看板が上がっているだけで何もありません。拍子抜けするものです。道理で、各地真田関連で訪問した場所は、六文銭の旗がたなびいているのに、ここには何も無い理由が分かりました。
一心寺 真田の抜け穴
次は、本田忠朝の墓ですが、本堂からみて真後ろにありました。結構、次から次へと参拝する人が来て、この人達は、皆、断酒するつもりなのか、と思ってみていました。
本田忠朝の墓
本田忠朝の墓の向かって左手に、八代目市川團十郎の墓があり、少し驚きました。代々の墓は東京の青山霊園にありますが、まさか大阪の一心寺にも葬られているとは全く知らなかったからです。市川團十郎は歌舞伎の中でも有名な名跡ですが、代々の中で非業の最期を遂げている人が多く、共演者に舞台上で刺殺されたり(初代)、若干二十歳そこそこで風邪をこじらせて無くなったり(六代目)。また、八代目は大阪に公園に来た際、自殺を遂げています。はっきりした理由は未だに分かりません。管理人はミステリーが好きですが、戸板康二氏の著書を読んだことがあります。(團十郎切腹事件 直木賞受賞作)架空の歌舞伎役者、中村雅楽が探偵役の短編です。
八代目市川團十郎の墓
一心寺は私が参拝に来るたび、いつも人が多く、この日も梅雨の晴間で特に多かったようですが、何処の駅からも微妙に遠く、年配者にとっては一心寺まで歩いてくるのも一苦労だと思います。自分の両親も年齢的なことから、滅多に参拝に行けなくなってしまいました。一心寺もホームページで謝っておられますが、駐車場の廃止が悔やまれます。周囲の有料駐車場(こちらもほぼ満杯状態)から賄賂でも貰って駐車場を廃止したのでは無いかと勘ぐってしまいます。
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