皆さんこんにちは。南大阪在住、ブログの管理人「カズ」です。今回は以前お届けした記事の改訂版としてお送りします。はっきり言うと、大河ドラマに便乗していまが、以前よりも格段に読みやすくなっていると思います。父の旅行記に「西郷どんの足跡を訪ねて」を使用するのは初めてですが、ご了承下さい。
また、毎回、申しておりますが、父親が過去記録した旅行記を息子の私がブログという形で皆さんに公表しています。現在と状況が変わっている可能性があることをご了解ください。
スマホでブログをご覧になっている皆さんへ。本文のあとに旅行の行程表がありますが、それを見る際はスマホを横にしてご覧になって下さい。縦のままだとちゃんと表示されません。よろしくお願いします。
1999年5月19日(月) 前編
第2日目は、国道200号線で鳥栖まで行き、高速に乗る予定であるが、200号までの道順がややこしくて、フロントで聞いた。フロントは少し愛想の悪い男であったが、事務所から親切な人が出てきて教えてくれた。天気は晴、7時50分の出発であった。
国道200号は整備されていたが、バイパスで交通量が多かった。いわゆるボタ山の後ろ姿は殆ど見られなかった。これは筑豊地方だけの傾向であろうか。道路の両側は繁みで塀を作っており家も庭も見えなくしているようで、暗い感じがしてならなかった。飯塚市では宿場跡や嘉穂劇場などを見たいと思っていたが、市街への道が分らず、穂波町(管理人注 2006年飯塚市と合併)まで行ってしまった。筑穂町(管理人注 この町も2006年飯塚市と合併)からしばらく筑豊本線に沿い、冷水峠は有料道路を利用した。国道3号線に合流して、鳥栖の長崎自動車道の鳥栖インターチェンジから入り、すぐジャンクションを九州自動車道へ。午前9時過ぎであった。広川サービスエリアにて小休止。当初、北熊本サービスエリアで昼食を予定したが、時間も早く(10時13分)更に先に進んだ。
宮原サービスエリアに立ち寄ったが、昼食するところでないと思い、八代市に出た。球磨川に沿った相良屋でそば弁当を食べた。茶店のような食堂であったが、手打ちそばは美味だった。
球磨川は流れが速いので有名である。人吉街道(国道219号線)はこの流れに沿っており、肥薩線は対岸を走っている。当初の予定では、帰途、吉尾温泉で一泊することを考えたが、変更したのでせめてどんな温泉かと立ち寄ってみたかったのだが、標識が見当たらず、球磨村まで進んでしまった。川下りする舟も見ることが出来た。間もなく人吉である。八代から人吉まで意外と早かったのに驚いた。
1999年5月19日(月) 前編
場所 時間 メーター表示
出発 7時50分 0㎞
鳥栖インターチェンジ 9時07分 54㎞
広川サービスエリア 着 9時20分 72㎞
発 9時40分
北熊本サービスエリア 着 10時13分 121㎞
発 10時17分
宮原サービスエリア 着 10時51分 169㎞
発 11時00分
八代インターチェンジ
相良屋 昼食 11時16分 180㎞
発 11時45分
道の駅 城本 12時09分 190㎞
球磨川村 12時43分 218㎞
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