皆さんこんにちは。南大阪在住、ブログの管理人「カズ」です。今回は以前お届けした記事の改訂版としてお送りします。はっきり言うと、大河ドラマに便乗していまが、以前よりも格段に読みやすくなっていると思います。父の旅行記に「西郷どんの足跡を訪ねて」を使用するのは初めてですが、ご了承下さい。また、大雨で全国に被害が発生しています。被害に遭われた方にお見舞いを申し上げますとともに、一刻も早い復興を祈念します。
また、毎回、申しておりますが、父親が過去記録した旅行記を息子の私がブログという形で皆さんに公表しています。現在と状況が変わっている可能性があることをご了解ください。
スマホでブログをご覧になっている皆さんへ。本文のあとに旅行の行程表がありますが、それを見る際はスマホを横にしてご覧になって下さい。縦のままだとちゃんと表示されません。よろしくお願いします。
1999年5月22日(木) 中前編
倉浜荘は坊野浜にあった。密貿易の館として家の内部には色んな仕掛けもあるようだが、現在は留守とのこと、残念だが外観だけを見せて貰った。殆ど目立たない粗末な屋根の低い建物であった。坊津はかつて中国や琉球南方諸国との交易に栄えた港であったが、今は小さな漁船が停泊していた。番所跡は支所の前にあり、歴史民俗資料館もあった。また文化5年(管理人注 西暦1808年)海で遭難した61名の人達を供養する地蔵さんがあった。
倉浜荘

遭難者供養お地蔵さん
この辺一帯は、泊浦、久志浦、末泊浦、秋目浦とリアス式の入海が続いており、非常に眺望の良いところである。その昔遣唐使船は泊浦に着いたらしい。鑑真和上が苦労の末上陸されたのは泊浦から少し先の秋目浦であった。今は上陸地のすぐ上に記念館が立てられている。海岸美は笠沙(かささ)へ入っても続く。
泊浦
坊津海岸
泊浦、久志浦
案内図
鑑真和上上陸地


黒瀬は神話で瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)上陸の地と伝えられている。すぐそばに杜氏の里があった。焼酎づくり伝承展示館である。国道226号線から霊峰野間岳が近くに見えた。笠沙の町は神話伝説にふさわしい雰囲気があると思った。瓊瓊杵尊上陸伝説についての私の想像は別に記してみたい。
瓊瓊杵尊上陸地


野間池といってもそれは単に入江に過ぎず、地の名称が野間池であった。小さな漁港を持つ村である。ちょうど昼頃だったので食事でもと思ったが、それらしいものは一つも無く、野間半島の景色を見るに留めた。岬には灯台があるが山道を徒歩で行かねばならず、立神岩のある駐車場から、野間岬と灯台も望むことが出来た。天気は上々、人の気配も少なくおだやかな東シナ海と薩摩半島最西端のリアス海岸を心ゆくまで味わった。実に良い旅だ。
1999年5月22日(木) 中前編
場所 時間 メーター表示
火之神公園 9時30分 47㎞
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