皆さんこんにちは。南大阪在住、ブログの管理人「カズ」です。先日まで、毎日猛暑の日が続きましたが、今回は初夏を感じられる富士山の近辺周辺を選択しました。
また、毎回、申しておりますが、父親が過去記録した旅行記を息子の私がブログという形で皆さんに公表しています。現在と状況が変わっている可能性があることをご了解ください。
スマホでブログをご覧になっている皆さんへ。本文のあとに旅行の行程表がありますが、それを見る際はスマホを横にしてご覧になって下さい。縦のままだとちゃんと表示されません。よろしくお願いします。

2001年5月17日(木)  中後編

奈良田は近くの山で金や銅が採掘され、武田信玄や徳川家康も山を支配したという伝説がある。現在も鉱山跡が残されている。繁栄時は関係者で人口も多く、山奥でも相当開けたと思われる。しかし、現在その面影は跡形も無い。一体何処へ消えてしまったのか。真に不思議というほか無い。

奈良田 広河内橋ゲート付近
6-1

深山幽谷(しんざんゆうこく 管理人注 ほとんど人が入っていかない奥深く静かな自然のこと)のこの地では、農耕する充分な土地もなく、昭和30年代まで山の急斜面を利用した焼畑農業の習慣があったらしい。現在、歴史民俗資料館には、焼畑農業のために造られた生活小屋が再現されている。木の伐採「ヤブキリ」火入れ「ヤブヤキ」種まきから収穫まで遠く離れた山中の生活は想像を絶する困難があって、おそらく貧困は彼等に強くつきまとったことだろう。現在、奈良田はアルプスの登山基地に利用されたり、温泉の存在が里人の生活に大きく関わっている。もちろん、山林、土木作業が生活の基盤となっていると思うが、どう見てもあまり裕福な里には見えなかった。現在奈良田には山岳写真家、白籏史朗氏の資料館が建設されて、南アルプスを中心とした素晴らしい山岳写真が展示されている。
立派な文化財だと思うが、この里は伝説や言い伝えが多い割りに、これといった文化の伝統が見当たらないのである。自然災害が酷かったとも思えるが、奥深いアルプスの西側では、大鹿の歌舞伎や霜月祭のように古い農耕文化が沢山残っている。地理的な条件はあまり変らないと思うが、何か大きな理由があるのだろうか。表現は悪いが生活面、文化の面で、山の東西での水準には相当な落差を感じるがどうだろうか。

奈良田の里温泉
6-2

奈良田湖
6-3

2001年5月17日(木)  中後編

場所                 時間       メーター表示

奈良田の里           13時45分     125.2㎞

早川水系発電館

広河内橋ゲート Uターン    13時49分

早川町南アルプス山岳写真館   14時05分     127.9㎞

 発              15時04分


にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ
にほんブログ村